修論4回めでは、コミュニケーションについて書きます。
修論の4回めです。
今回は、「コミュニケーションとは:修士論文04」何かについて書きます。
コミュニケーションとは:修士論文04
🟠コミュニケーションとは:修士論文04
今回は、「第2章:コミュニケーション能力育成の必要性」の中の「第1節:コミュニケーションとは」について書きます。
<コミュニケーションとは>
この章では、音声言語教育の歴史的な流れも踏まえながら、コミュニケーション能力を育てることの必要性について述べます。
まず、最初にコミュニケーションという言葉の定義から見ていきます。コミュケーションには様々な定義がなされています。
村松賢一さんは、「言語主体同士が、言語及び非言語メッセージ(表情、身振りなど)の交換により相互に影響し合い、情報や思想、感情などを共有しつつ目的を遂行する過程である。」(※1)と定義付けています。また、有働玲子さんは、「ことば(文字言語及び音声言語、 非言語)による行為や、記号及びコードを用いて、相手と相互に意味及び情報を共有し、交換する過程」(※2)というように定義しています。
また、白鳥元雄さんは、「communication」を語源から見て、次のように説明していています。
(※3)
「コミュケーションcommunication」という英語の源流をさかのぼると、ラテン語の“communicatio”ということばに出会います。このことばは、「分け合う」という原義を持っています。英語の“communicate”という動詞も、“communicate a thingwith another person”といえば「ひとつのものを他の人とわかちあう」という意味 になります。「伝える」ということは目に見えない心のなかみをわかちあう、共有しようとする動きともいえるでしょう。
コミュニケーションのためのことば学
それゆえ、本論で述べるコミュニーションとは、「主に、音声を通して、人と人がお互いの考えや感情を伝えることで、相互に理解し合い、考えや気持ちを共有すること」と定義します。
そして、このコミュニケーションを行うことができる能力のことをコミュニケーション能力と定義付けることにします。一般的には、コミュニケーションと言えば、音声だけでなく、文字や非言語による意思や情報の通じ合いを入れる場合も多いですが、ここでは、音声を通してのものに限定することにします。なお、コミュニケーション能力を育てる教育のことを音声言語教育と書くことにします。
不登校やいじめ、「キレる子ども」の増加などの現状を見た場合、普通にコミュニケーションすることの困難さが子どもの世界にも蔓延していることが見て取れます。私の勤務校においても、残念なことに上靴を隠す「靴隠し」という行為がよく起こっています。きちんとことばで自分の考えを伝え相互に理解できれば、嫌なことがあってもそれを口で相手に伝えることができれば、このような出来事は起こらないでしょう。
しかし、実際には、上手にコミュニケーションできる子どももいますが、寡黙な子どももいますし、話す場を独占する子もいますし、先程のようにことばでなく、暴力や行為で、すませている子どももいるというのが学校における現状です。
私は、「必要な場において、最低限必要なことを話し、自分にとって最低限必要なことを聞ける子どもの育成」をめざしたいと願っています。
必要な場とは、「学校の授業中だけでなく学校生活や日常生活において自分のことについて話さなければならない場」ということです。
子どもの中には、けがをした場合、そのことを友だちに代弁させて、自分は黙っている子どもがいます。
学習の場面においても、紙などが必要になったときに、自分で言いに来なくて、友だちに「○○さんが紙をほしいっていっているけど、もらっていいですか」と代弁してもらう子どもがいます。
代弁している子どもと代弁してもらっている子どもの間ではコミュニケーションができているとは言えるのかもしれません。
また、自分の要求より他人の要求の方が話しやすいということは、私自身の日常生活を振り返った場合にわからないことでもありません。しかし、できれば、自分のことは自分で言える、話せる子どもになってほしいと願います。誰かにしてもらうのを待つではなく、自分で行える子どもになってほしいと思います。
人は、一人では生きていけません。大人になっても人と上手に音声を通したコミュニケーション能力を働かせることは大切なことです。そのことは、多くの大人に認識されていて、書店に並ぶ実用書の中に、コミュニケーション能力のハウツー書がたくさん並んでいることからもわかります。しかし、青少年たちが殺傷事件などの犯罪をたくさん起こす現状を見た場合、必ずしも、教育の中でこのコミュニケーション能力を育てる教育がうまくいっているとは言えない状態があるのかもしれません。
教育課程審議会の中間まとめの「国語」の「改善の内容」(※4)の中でも、このコミュニケーション能力を育てることの大切さが、次のように力説されています。(赤字は引用者によります。)
従来、文学的な文章の詳細な読解に偏りがちであった指導の在り方を改め、自分の考えをもち、論理的に意見を述べる力、目的や場面などに応じて、適切に表現する能力、目的に応じて的確に読み取る能力や読書に親しむ態度を育成する指導を充実させ、例えば、スピーチや説明をすること、話し合いや討議をすること、手紙を書くこと、記録や報告をまとめるなどの学習活動が十分行われるようにする。
改善の内容
ここで述べられていますように、多くの識者もコミュニケーションする能力が育っていないという思いをもっているようです。
この論文では、実践事例を通して、主に低学年の子どもにコミュニケーション能力を育てるためには、どうすればいいのかということについて述べていきたいと考えています。
そのために、まず、日本の音声言語教育の流れについて見ていこうと思います。
<第2章第1節の※の出典>
(1)村松賢一さん 1998年「いま求められるコミュニケーション能力」明治図書 P33
(2)有働玲子さん 1998年「教室におけるコミュニケーション能力の育成のために」日本国語教育学会「月刊国語教育研究」313号 P28
(3)白鳥元雄さん 1993年「コミュニケーションのためのことば学」 ミネルヴァ書房 P15
(4)教育課程審議会の「中間まとめ」は、平成9年11月17日に出されました。「Ⅰ 教育課程の基準の改善の基本方向」の「4 各教科・科目等の内容」の国語科改善案に書かれています。
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