俳句 言語文化③

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俳句について知りたいです。

 日本特有の詩の詩の形態に俳句があります。

 今回は、「俳句」について書きます。

俳句:言語文化③

🟠俳句

<俳句とは?>

 俳句(はいく)とは、日本の古来からある詩の1つです。詩歌の1形態です。

 俳句は、5・7・5・の3句17音でできています。

 俳句には、季語を入れるというきまりがあります。

 世界で一番短い定型詩といえます。

<俳句の歴史>

 俳句は、連歌や俳諧から発展した詩の形式です。

 連歌は、奈良時代の古来に原型ができ、平安時代に発展しました。

 連歌は、3人以上の人が集まり、歌を詠む文芸のひとつです。和歌の五・七・五(長句)に、ある人が七・七(短句)をつけくわえ、さらにある人が五・七・五をつけくわえるというように、百句になるまで長句・短句を交互に連ねていきます。

 連歌は、短歌の一首を五・七・五と七・七の二句に分け、複数の作者によって連ねられた歌の形をとっています。最も古いものは、「万葉集」に載っています。

 連歌の一番初めに読まれる句を、「発句(ほっく)」といいます。

 発句には、必ず季語・切れ字を入れなければなりません。これが、俳句の原型といえるかもしれません。

 連歌は、戦国時代になり一度廃れます。

 江戸時代になり、俳諧が流行るようになります。

 俳諧とは、正しくは、「俳諧の連歌」あるいは「俳諧連歌」といいます。滑稽な連歌という意味です。

 伝統的な連歌の形式を生かしつつ、俗語や漢語などの滑稽な言葉を盛りこんだもののことを指します。

 江戸時代になると、松永貞徳を中心とする貞門という一門の俳諧や、もっとつよい滑稽さを求めようとする西山宗因たちの談林派の俳諧が流行ります。

 それらの俳諧の後、1690年代の元禄時代になると、松尾芭蕉らのグループによる蕉風の俳諧が流行します。

 談林派の俳諧の詠み方を、さらに前句から余情を感じ取り、それに対してまた余情で応じるという「にほひ付」の技法によって、俳諧をより高めました。

 松尾芭蕉は、俳諧の名人ですので、この時には、まだ俳句という言葉はありませんでした。

 俳諧の連歌は、連句が中心でした。しかし、江戸時代末期から明治時代にかけて、連歌の一番初めに詠まれる「発句」が独立するようになりました。

 明治時代に入ると、正岡子規を中心としたグループによって、俳諧の連歌から派生した発句のみの文芸を「俳句」と名付けられました。

 これが、俳句の始まりです。

 俳句が詠まれるうちに、俳句の決まりは、①五・七・五の17文字、②季語を入れる、③切れ字を入れるという3つのルールから、17文字と季語の2つのきまりだけが残り、切れ字を入れるというルールはなくなりました。

<正岡子規>

 正岡子規(まさおか・しき)は、江戸時代の最後の年である1867年(慶応3年)に、今の愛媛県松山市(その当時は、伊予国・いよのくに)で生まれました。

正岡子規

 若い時に、肺結核になり、1902年(明治35年)に35歳の若さで亡くなりました。

 正岡子規の本名は、常規(つねのり)といいます。子規は、学者や文学者、画家などが本名のほかに用いる名前である「号」です。号は、今の言葉でいうと、ペンネームのことです。

 正岡子規は、明治時代を代表する文学者で、俳句や短歌に大きな影響を与えました。

 病に苦しみながらも、自然を見つめる目は、繊細でとても温かく、写実的な作品は、多くの人から今でも愛されています。

 正岡子規は、大学生の頃から、夏目漱石と親交があり、「漱石」をいう号は、最初、正岡子規が使っていたものを、漱石に譲ったものです。子規の他にもたくさんのペンネームを持っていました。その一つが、自分の幼い頃の名前の「升(のぼる)」に、ちなんだ「野球(の・ボール)です。

 正岡子規は、病気が悪化して、自分の命が長くないことを悟るようになります。自分は何のために生きてきたのか、生きていくのかを考え、俳句と短歌の革新に情熱を傾けるようになります。

 正岡子規は、俳句や短歌は、言葉を飾って作るのではなく、目や耳に入ってくるものを素直に表すものであると考え、写実的な作品を作るようになりました。

 正岡子規は、文学以外にも、スポーツに熱中しました。特に、アメリカから伝わった「ベースボール」には熱心に取り組み、「野球」「直球」「四球」「飛球」「打者」「走者」などの野球用語を作りました。正岡子規は、2002年(平成14年)に「野球伝統入り」もしています。

<有名な俳句(俳諧)の例>

松尾芭蕉」の俳諧

 古池や 蛙飛こむ 水のをと

 閑さ 岩にしみ入る 蝉の声

 夏草や 兵共が ゆめの跡

 秋深き 隣は何を する人ぞ

 旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る

小林一茶」の俳諧

 すずめの子 そこのけそこのけ お馬が通る

 名月を とってくれろと 泣く子かな

 めでたさや 中位なり おらが春

与謝蕪村」の俳諧

 菜の花や 月は東に 日は西に

 春の海 ひねもすのたり のたりかな

 さみだれや 大河を前に 家二軒 

正岡子規」の俳句

 柿くえば 鐘がなるなり 法隆寺

 いくたびも 雪の深さを 尋ねけり

 夏草や ベースボールの 人遠し

 障子明けよ 上野の雪を 一目見ん

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