詩の教材研究について知りたいです。
詩の学習についてです。
今回は、「詩の教材研究」についてです。
詩を学習教材として取り上げるのが好きなのは、詩が短く教材研究が他の物語文や説明文と比べて短時間にできることと、詩には決まった型がありますので、その型に応じて、教材研究をしていけるからです。
詩の教材研究
私なりの詩の教材研究の仕方を、阪田寛夫さんの「夕日がせなかをおしてくる」という詩と、金子みすゞさんの「みんなを好きに」の詩をもとに書いていきます。
私が詩を教材研究する場合は、1番最初に、その詩が自由詩か定型詩かをみます。
2番めは、その詩が何を伝えようとしているかどうかです。
3番めは、その詩の詩としての特徴を見ていきます。
教材研究の実際
では、「夕日がせなかをおしてくる」と「みんなを好きに」の教材研究です。
🟠「夕日がせなかをおしてくる」の教材研究
(1)自由詩か定型詩かについて
この詩は、典型的な定型詩です。
2連からできており、題名と1連、2連の最初が全て「夕日がせなかをおしてくる」という言葉になっています。
ほぼ、全ての行が12行で書かれています。
(2)何を伝えようとしているかについて
「伝えたい内容」ですが、夕日が背中にあたっている様子を、「夕日がせなかをおしてくる」と表現しています。
そして、擬人法を使い、まるで、夕日がぼくらに、次のようなことをよびかけているように、書き表しています。
「今日はさよならだね。家では、家族がばんごはんを作って待っているよ。しっかり食べなよ。そして、明日も寝坊せずに、元気に過ごしなよ。」
そのような、太陽の呼びかけに対して、ぼくらも同じような言葉で返事をしています。
(3)この詩の特徴について
夕日が、人のように、ぼくたちの背中を押したり、話しかけたりしています。
赤い夕日の光を、まっかなうでと表現していて面白いです。
擬人法を使っているのが、この詩の特徴の1つめです。
2つめの特徴は、2連それぞれの前半の4行は、太陽やぼくらの行動を描写したり、気持ちを書いたりしています。2連それぞれの後半の4行は、夕日とぼくらの話している内容が1行下げといく形式をともなって書かれています。
夕日は大きく、遠くにあるので、「でっかい声でよびかけて」きますし、ぼくらも、遠くにある太陽に向けて、ぼくらも負けないぐらいの声の大きさで、どなっています。
🟠「みんな好きに」の教材研究
(1)自由詩か定型詩かについて
この詩も定型詩です。
前半の3連と後半の3連が繰り返しになっています。
1連と4連では、「何でも」と「誰でも」以外同じ言葉が繰り返されています。
倒置が使われていて、「好きになりたい」という言葉が先に来ています。
(2)何を伝えようとしているかについて
「伝えたい内容」ですが、題名通り「みんなを好きになりたい」ということでしょう。
言い換えると、嫌いなものがあるということです。
詩の2連目に出てくる食べ物の「葱」「トマト」「おさかな」は子ども(≒金子さん本人≒金子さんの想定した人物)が嫌いなものなのかもしれません。
5連に書いてある「お医者さん」や「烏」も注射をされたり、気持ち悪かったりして嫌いなものなのかもしれません。
でも、それぞれ「母さん」と「神様」がおつくりになったものなので、好きになりたいと考えているのでしょう。
(3)この詩の特徴について
「みんな」を「みいんな」と書いてあることで子どもが歌っているような印象を受けます。
6連目だけ「みィんな」と書いてある意図はわかりません。意図的なのか書き間違えか、でもそこだけ他と違う書き方をしていることは気づきます。
「うちのおかず」という身近なものと「世界」という幅広いものを取り上げているのも面白いと感じます。
でも、こういうのが子どもの感覚なのかもしれません。
家族や学校という身近な世界以外は、世界全てに思いを馳せるのは経験のない子どもにとってはよくあることのように思います。
私自身子どもの頃よく「世界中の全ての人が幸せになればいいな」と感じていました。
何かを祈る時には、家族について考えた後は、「世界中から戦争がなくなり、地球に住む全ての人が幸せになればいいな」と思っていました。
自分が子どもの頃にもっていた世界観と似ているように感じます。
1連めは、倒置をしています。
それと同時に、1連目の語尾を「な」にそろえて「韻」をふんでいます。
好きになりたいもの(≒嫌いなもの)として2連では3つ、5連では2つ取り上げているのは、音の数を同じにするという意図があるように感じます。
詩の授業の流れ 夕日がせなかを押してくるに進む(内部リンク)
詩の発問 みんなを好きに 詩の授業③に進む(内部リンク)
詩集を作る 詩の授業④に進む(内部リンク)
詩「ふしぎ」一部の書きかえ 詩の授業⑤に進む(内部リンク)
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